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[653] 気晴らしに?

気晴らしに? by さとぴあ
でんごんばんに一部のせていた絵を加筆。
Painter7で作業。Painter7標準のブラシをざっくりと削除(保存はしてあります)
使うブラシだけにしたら若干軽くなった感じです。
何かを描いていると、いろいろとつぶやいている自分がいます。

ゴッホは、こんな傷のような線はと批判されたし、タンギー爺さんは、他の画家に揶揄され、一度描いた物をパレットナイフで削ってしまった。
ゴッホの絵は、決して、アカデミックな絵、つまり、デッサンがどうのという部分でみれば、荒々しくもあり、緻密でもない。でも迫ってくるものはある。

でも、ここはもっと丁寧に、メリハリをつけていれば一般受けしただろうなぁ…
そう思う事はある。
彼は理解されず、絵も売れず揶揄されづづけ、悩む中から絵を作っていったのだろ思う。
そうでなければ、なぜ、あれほど絵が語りかけて来るんだろうか。

実は、私事で恐縮だけれども、デッサンは私は苦手です。
これまで、もらった感想は、「○○が変」というものが数年前からずっとそうで、一時期
「絵はデッサンじゃない」といっていたのは、振り返れば、私は精一杯思いを込めたのに、なのになのにという事を、「デッサンじゃない」といっていたのかもしれません。

描きなれた顔だけ描くより、苦手でも、今は枚数を重ねてつつ感覚をつかみたいですね。

描きながら
マイナス思考だプラス思考だ。前向きだ後ろ向きだ。
わかったような事をいうなよ。わかってたまるかよ。
なんて事も考えてしまう。

電気はプラスからマイナスに流れるといわれている。実際には、電子はマイナスからプラスに動いていたのは後からわかった事で、つじつまをあわせるために、「正孔」つまり、電子の為の穴が、プラスからマイナスに動いている事にされた。

言葉というものがもつ概念が、本当の気持ちを伝えうるものになりえるかどうか。
とくに、インターネット上において、相手の顔の表情をみることもなくできるか。
できる事もあれば、無理な場合もあるのかもしれない。

絵を描いていれば、何か伝わるかもしれないとも思ったけれども、そうした絵というのは簡単ではないんでしょう。観る人にもよるだろうし、描いた本人と観る人の波長があうときと不幸にしてそうでない時もあるのでしょう…。

足が変です。肩幅が変です。

たぶん、そうした部分が見えてしまうと、伝えたい部分よりそっちのほうに目がいってしまう。
そんな事もあるのだろうと思う。
主にそうした感想ばかりをもらってしまったからかもしれず、忘れたほうがいいのかもしれない。けれども、そうでない絵が描けるのならそれにこした事もないし、描いてみたい興味もあるのだから、時間はかかるかもですが、ちまちまやります。

憂鬱な気分の時、描いた絵は、ある意味で、普段の絵以上にいとおしくみえる時がある。
自己陶酔なのかもしれず、おはずかしいけれども、憂鬱さも悲しさもうれしさも、人の感情なのだから、感情をもった人が描いているものが私は絵だと思う。
だから、時に憂鬱になることも良いことなのかもしれない。

遊びたい楽しみたいというのもそれも楽しい絵なのだろう。


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